ウォーレン・ジヴォン兄貴

ogawamachi2006-03-25

 昨日、確定申告の還付金が入金されたので、うきうきして買い物へ(といっても府中の中古CD屋、古本屋をまわるというのが貧乏くさい)。
 大國魂神社の桜はちらほら花開いている程度。満開までもう一週間ぐらいですね。数軒まわり、レコードコレクターズ増刊「レコード・CDトリヴィア大百科」、のいづんずり「人間は金の為に死ねるか」、ウォーレン・ジヴォン「MY RIDE'S HERE」、大坪砂男「天狗」など買って帰宅。本当はもう一軒まわろうかとも思ったのだが、お金を使うのもいやなのでスルー。その店にいけばそこそこのお金が出ていくのがわかっているので。
 さっそくウォーレン・ジヴォンを聴くが、20年ぶりなのに変わらぬ音にうれしくなる。先日、サウスサイド・ジョニーをとりあげたけれど、ジョニー兄貴が東の親分衆の一人とすれば、ジヴォン兄貴は西(L.A)の親分衆の一人。なんつったってハードボイルド派ともロック界のサム・ペキンパージェイムズ・エルロイともいわれてやすからね。事実、兄貴の親父(ロシア移民)は流しの博打打ち。そのため、兄貴も幼い時分は相当の苦労をしなさったようで。
 はじめはクラシックを同じロシア移民のストラヴィンスキー親父に学んだ兄貴も、当時若いもんの風潮だったフォーク、ロックに興味を移し、1969年に最初のソロアルバムを発表。しかしこれがまったく売れず、ようやく芽が出たのはジャクソン・ブラウン兄弟の口利きでアサイラム組と盃を交わし、1976年に発表した再デビューアルバム「さすらい(Warren zevon)」から。その後はリンダ・ロンシュタット姉御に提供した「Poor Poor Pitiful Me(私はついてない)」がヒット、映画「ハスラー」では当時まだ駆け出しのチンピラ、トム・クルーズ坊ちゃんが「ロンドンの狼男」に合わせてお尻をふって踊ってくれるなど順風満帆にいくかと思いきや、ここからまた不遇の時代に入るわけで。
 アサイラム組を出たあとは、ヴァージン組、アルテミス組と渡り歩き、アルコール、薬物に溺れた時期もありやした。そんな兄貴が再び脚光を浴びるのは、ガンとわかり、余命いくばくもない頃というのは皮肉なもんです。2003年9月この世とおさらばした兄貴に、翌年グラミー賞は、フォーク部門で「Best Contemporary Folk Album」を、ロック部門で「Best Rock Performance By A Duo Or Group With Vocal」を授け、長年の労をいたわったのでやんした。その後トリビュート盤が出され、ジャクソン・ブラウン兄弟はもちろん、ディラン親父、スプリングスティーン兄貴、ライ・クーダー兄貴、ボニー・レイット姉御、ドン・ヘンリー兄貴など、錚々たる親分衆が参加。海の向こうのこととはいえ、日本でもこの4月末、長らく廃盤または未CD化だった中期3枚のアルバムが限定千枚ずつ紙ジャケ復刻なされるとかで、子分衆も胸をなで下ろしているんでやんす。そんな兄貴を知らないという皆さんは、若い時分の不敵なつらがまえを写真でご覧になっておくんなせぇ。ドスのきいた歌声はもっと忘れられませんぜ。