治郎八と次郎

 休日中に再校を仕上げて宅急便で送ろうとしていたのだが、やると結構大変で、結局神保町へ届けにいくはめに。渡し終わると急に疲れが出てきて、まっすぐ帰宅。昼寝をしてしまう。夜、文藝別冊「白洲次郎」を読む。薩摩治郎八もかっこいいけど、白洲次郎もかっこいいね。ちょっと調べてみると、2人は同時代人。


・薩摩治郎八
明治34年(1901)東京駿河台に生まれる
大正7年(1918)オックスフォード大学に留学
大正11年(1922)パリに渡る
大正14年(1925)パリに日本館を建設。日本人画家のパトロンとなり、藤田嗣治コクトー、ラディゲなどとも交際。600億円相当を散財
昭和26年(1951)無一文で帰国し、再婚した夫人の故郷、徳島に隠棲。昭和51年(1976)没


白洲次郎
明治35年(1902)兵庫県芦屋に生まれる
大正8年(1919)神戸一中卒後、ケンブリッジ大学に留学。留学中はベントレー、ブガッティを乗り回す
昭和3年(1928)白洲商店倒産のため帰国
昭和20年(1945)吉田茂に請われ、終戦連絡中央事務局参与に就任。GHQとやり合う。以後、初代貿易庁長官、東北電力会長などを歴任。昭和60年(1985)没


 2人とも富豪の家に生まれ、1年違いでイギリスに留学。治郎八のほうはその後、フランスの文化に憧れてパリに移ってしまったけれど、1年間は同じイギリスの空の下にいたんですね。山田風太郎なら2人が出会う場面を小説中に書き込むだろうけれど、誰か書いてないのかな(ちなみに俺が薩摩治郎八を知ったのは、風太郎の「人間臨終図鑑」から)。
 2人のことは他のサイトなり、本を読めばよいことなので、俺がこれ以上書くことはありません。民間外交に尽力した治郎八、戦後日本の復興で活躍した次郎。こういうお金持ちこそ、いまの日本にいてほしいもの。富豪ランキングの上位にいるのはサラ金にパチンコ屋ばかりで、利益が社会に還元されているとはとても思えないものなぁ。


風の男 白洲次郎 (新潮文庫)